見ている現実は”現実”か?今、私たちがすべきこと~

仕事にしても何にしても、なにか問題が起こったとき、まずは現実を直視し、そこから突破口を見出していく必要がありますが、”一つの現実”も、人によって(もしくは時によって)見え方や捉え方がぜんぜん違う!こんな経験、みなさんもあるのではないでしょうか。

今日は、塾部門で次代を担う子供たちを育てていくために日々奮闘している講師が、「現実直視」をテーマに【今、私達がすべきことは何か?】をみんなに向けて伝えてくれた内容をご紹介します。

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潜在思念発の「現実直視」の重要性と実現可能性について考えた。


地震が発生し何が起こるかわからないという本能を直撃しても、学校でプレートテクトニクスを習い、新聞紙上もここぞと「プレート」と「活断層」の「科学的」展開が繰り広げられる。夢にも人工地震の可能性だとは思わず、それを探ることはない。

が、昨日の理科の授業では、その構造を探っていくと、大多数の生徒が人工地震の可能性に気づき、思考が覚醒する。


「現実直視」が重要だ。だから頭の中の知識ではなく、実験をさせる。例えばヨウ素反応をやってみよう。小麦粉にヨウ素液を加えて確かめよう。ほとんど黒色になった。そこで、「何で青紫にならないのだろう?」「ヨウ素液が濃すぎたのではないか・・・」という疑問が極めて科学的な思考方法だと推奨される。

つまり、観念的結論が先にあり、そこにいたらないのは何で?という思考は、実は現実直視しているようで既存の観念に縛られた発想になっている。黒色であるという現実を直視しているわけではない。


つまり、我々は観念動物であるかぎり既に何らかの観念に収束している。何も旧い観念に限ったことではない。知識や常識の枠組みが要素還元的な限定思考に絡みとられている。事実が事実として受け止める目がにごっている。現実を見ているようで直視していない。


現実直視しようとしても、思考ベクトルが逆行していると、見えるものも見えなくなる。


子供たちは、学校の教科書を勉強すればするほど思考ベクトルは逆行して潜在思念発の現実直視しにくくなるということだろう。じゃ、どうする?

「現実直視」とは本や教科書などの知識よりも現実を見させることが大事(実体験重視)というのは間違いではない。

しかし、むしろ今我々がすべきは(=自分が変わるべきは)、観念を事実観念に置き換えていく作業こそが重要ではないか。


否が応でも我々はさまざまな観念を身につけて物事を見ている。それが現実突破の可能性観念ではなくても、である。逆に今、現実突破の可能性がない観念ならなおさら事実観念に置き換えていくのは可能であると考える。

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今、見ている現実は本当に”現実”でしょうか?

旧い観念(常識や思い込み)を捨て去った時、今ある世界が全く違うものに見えてくるのだと思います。


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