『自主管理』を都合よく捉えていないか。

自主管理できてこその共同体

私自身は「自主管理」を「集団が勝つために、集団の役に立つために、各々が自主的に考え、自主的に活動し、そのための管理さえも自分たちで行うこと。」と解釈している。一般企業では「管理職」という言葉が象徴しているように、上司が部下を管理する形態が当たり前になっていることを考えると、類の最も類らしい部分は「自主管理」になるだろう。

自主管理のポイントは2つ。

1つ目は

「勝つ」に向かった思考であり、活動なのか。

もう1つは

「自分で」ではなく「自分たち」で考え、活動し、管理すること。

例えば、今年度の類塾は、より自主的に教室運営が出来るようになった。授業ひとつ取っても、生徒・保護者にとってプラスに働くならコンサルでも空き講師でも授業に入っていいと思う。


しかし、その行動は、本当に生徒・保護者のためだろうか?

そして、「勝つ」ためだろうか?


そこでは、自分たちの不安を解消するための【自由権】として自主管理が使われた感がある。そしてその結果、本来すべき業務・課題(「自由」に対応させるなら「義務」)が成されていない状態は、明らかにおかしい。

当事者は、不安いっぱい・危機感いっぱいで、自主管理の名を借りて「自由」にやっている感覚はないだろう。しかしそれは「迎合」という敗北思考でしかない。明らかな劣化判断や、それは違うと思われることが、まかり通っている。


しかし、自分では気付けない。だったら、他のメンバーが、「それは違う」とズレを指摘して、自分たちで自然に修正がかけられる集団であるべき。

自分たちが出来ていれば他のチームは気にしない(指摘するのは避ける)というのも、自主管理をはき違えている。

「自分はできている」ではなく「自分たちができる」ようにならないと、いつまでも個人の成果主義でしかない。

自主管理は、プラスの可能性に向かって進んでいく、つまり勝つために創意工夫をし、そして実行し実現する。そのために必要なことを、自分たちで考えて管理し活動すること。それこそが、管理職を排除し、「自分たちで自分たちの居場所を作る」ことに繋がる。


もう一度原点を振り返り、ズレが生じても周りの期待と圧力で自己修正できる、「勝てる」自主管理集団でありたい。

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