【子育て通信】天才の育て方 ~「才能を伸ばす」ことと「共に学ぶ」ことは、どう結びつくのか~

「天才」とまではいかなくても「少しでも本人の持つ才能を伸ばせたら…」と思うのが親心。
今日は、そんな皆さんと共有したい記事を紹介します。
その名も「天才の育て方」!(朝日グローブ 6/3号の特集 https://globe.asahi.com/feature/11014568 より引用させていただきます。)

(※画像は「朝日グローブ」さまよりお借りしました。)

特集では、

>天才は「孤高の存在」というイメージで語られがちだが、実は特定の時代や地域に集中して現れることが多い。
>「才能の種」は生まれつきかもしれないが、それが「天才」と呼ばれるほど見事な花を咲かせるには、育て方の影響も大きいはずだ。人工知能(AI)の時代にあっても、色あせず輝く才能、創造性とは何か。それをどう伸ばせばよいのか

と気になる言葉はちりばめられているのですが、今日はまとめ部分「総評」を紹介します。


★★・‥…―━━━―…‥・・‥…―━―…‥・・‥…―━━━―…‥・★★

「個性的な才能を伸ばす」ことと
「共に学ぶ」ことは、どう結びつくのだろうか。


「ヨハネ研究の森」の横瀬和治は、「学び」の原型を、母親と赤ちゃんの「共同注視」という行為に見る。
母親が指さした物を赤ちゃんが見ることで母親が喜び、それによって赤ちゃんも色々なものを指さし母親と喜びを共にしようとする。


「世界に新しいものを発見した驚き」。それを人は、まず他者と共有したいと願い、そのことがより大きな喜びをもたらす。

SNSの隆盛はその何よりの証しだ。


「トキワ荘」の若き漫画家たちも、自分の作品ができあがったら、仲間たちに見せて「おもしろいな!」「すごいな!」と言ってもらいたかったに違いない。
見せられた方も負けじと知恵を絞り、新しい表現を模索する――。


「才能」とは、そんなポジティブな共同性の中で磨かれ、育まれるものではないか。

「研究の森」は全寮制だし、MITメディアラボも、様々な才能が集うことによる切磋琢磨を狙っている。

「共に学ぶ場」と現代の公教育との大きな違いは、「目指す目標」だろう。


「研究の森」の討論で尊ばれるのは、知識をひけらかしたり他人を論破したりする言葉ではなく「おもしろくて、他の人がより深く考えるきっかけになる言葉」だという。
トキワ荘やウィーンの音楽界で高く評価されたのも、「他者を感動させ、より豊かにする作品」だった。


一方、現代の学校の目標は、結局のところ「テストの成績」という一点に収斂(しゅうれん)する。他人の100点満点のテスト結果を見て、心豊かになる人はそうはいないはずだ。

近代学校教育の目標は「ある程度の知識と判断力を持ち、集団の規律を乱さず、命令には従順」という、大工場や軍隊で働くのに適した画一的な人材、そしてそれらの人々を使役する一握りのエリートを育てることだった。

しかし、人工知能が発達し、人類が大半の単純労働や反復労働から解放されることが確実な近未来、こうした人材は完全に行き場を失うだろう。

代わって求められるのは、「自らの言葉や行為、創造物によって、他者により深い洞察や驚き、喜びをもたらし、自他ともにより豊かになる力」ではないか。

もちろん、人によってその能力に差はあり、特に秀でた人が「天才」と呼ばれるのだろう。しかし、程度の差こそあれ、そうした能力を身につけた人の「世渡り」が相当快適で、安定したものとなることは疑いない。

子どもにそうした能力を身につけさせるには、どんな教育環境がふさわしいか。学校教育を絶対視せず、一人一人の親が真剣に考えるべき時だと思う。

★★・‥…―━━━―…‥・・‥…―━―…‥・・‥…―━━━―…‥・★★


私たちが受けていた教育を当たり前に子供たちに押し付ける…
それこそが、子供たちの才能を潰していることになるなんて…(><)

「天才」って特別なことではなく、
「仲間と切磋琢磨する中で、持っている才能を伸ばせた人」のことなんですね♪♪

お子さんの「天才ポイント」はどこですか?


0コメント

  • 1000 / 1000