2度の震災を乗り越えた絆 ~堀場エステック阿蘇工場オープニングセレモニー~

2018年5月18日に行われた、堀場製作所様の堀場エステック阿蘇工場オープニングセレモニーに設計者として参列してきた。総勢300名を超え、マスコミも入る、盛大なパーティーだった。
そこでは、2016年4月14日と同16日におきた震災当時の映像から完成までの経過が上映され、関係者の皆様も類設計室のメンバーも、震災当時からこころに刻まれていた深い思いが蘇り、涙する人もいた。
それは、2回にわたり震度6強の地震で直撃された工場の、壮絶な復旧活動を思い出したからだ。

その後、来賓の県知事や町長をはじめとする行政側関係者、堀場製作所の会長から挨拶があった。
皆さん共通の言葉として、営利関係を超えた、信任を第一義とする期待応望関係があったからこそ復興も実現でき、その結果として堀場エステックは過去最高の成績も達成できたというものだった。

そして、堀場会長は、震災で大きな被害を受け余震も続く中で、阿蘇工場を縮小して他の地域に移転する方策もあったこと。それでも復興までの難課題が満載の阿蘇で生産を倍増する計画に踏み切ったことについて、深い思いをお話された。
それは、震災後、自宅が壊れ自分の生活すらままならない社員が、工場の早期再開を願い、電気も水道も半壊し雨漏りで落ち着いて座れる場所も殆ど無い工場に集まって復旧活動を行ってくれていたこと。これに心を打たれ、この社員のために何ができるのか?を考えた結果、阿蘇で増産計画を建て、社員の生活をも守ることが彼らの期待に応えることだと決断したとのことだった。
この発表を、震災復旧の初期の段階で行った。その結果、阿蘇社員の士気も上がり、2週間で生産を再開し、2ヶ月で震災で壊れた建屋から機器を移転して、スペースが半分になりながらも生産は過去最高にまで伸びたという、驚異的な成績を上げた。

そして、現地増産の決断はプレス発表もされ、震災を受けた多くの企業経営者の心を打ち、ほとんどの企業が現地にとどまる決断をした、という現状につながっている。

この内容は、初めて明確な言葉としてお伺いしたのだが、なぜか、当初からその想いは明確に共有できていた。

それは、電気も水道もない、廃墟のような状態からどう立ち上がるのか?という外圧を共有し、ギリギリの状態で、再生できる部分・壊さざるを得ない部分を見通し、苦しい判断を行ったことを通して、今何をすべきかが、潜在思念で深く共有できていたからだと思う。

上記の判断内容を、現地の工場長、本部の責任者に電話報告しながら、再生に向けての現場調査が続くなかで、工場長の『やっぱり壊さなあかんか?』という落胆した表情や、本部の『つらいが、事実は事実として受け止めるしかないな』という重苦しい雰囲気が共有でき、こちらも自然に堀場製作所様の社員になったような気持ちで、仕事をしていた。

それは、類設計室以外の駆けつけていたゼネコン、サブコンの担当も同じで、ただただみんなで復興するという課題に向った。そこでの役割も、それぞれの企業の立場というものもなく、できることを目の前にいる誰かがやるという分担で自然に決まった。

そして、数ヶ月たち、課題が落ちついたころに初めて、お金をどうする?という話が始まった。そこでは、各業者とも掛け値無しで価格を提示し、みんなで調整するという、施主も含めた不思議な打ち合わせになっていた。

これらは、仕事の最基底部に、人と人との期待応望の関係があり、それが満たされると自ずと活力が上り目的は達成され、その結果、契約や金銭に代表される市場関係もうまくいくという事例だと思う。


本当にいい関係だったし、本当にいい仕事だった。

だが重要なのは、阿蘇のような極端な外圧がなくても、期待応望関係というものは、厳しい闘争課題がその前提にあり、普通に考えると無理難題のように見える課題ばかりであること。そして、それでもそこを突破する活力が湧くかどうかは、相手の置かれた外圧にどれだけ肉薄できるかどうかにかかっており、この共認度合いが、勝負を決するということだ。

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