赤ちゃんは働き者☆

会社で過ごした日も、お休みの日にお出かけした日にも、帰宅後子供に一番にかける言葉が、気づけば「今日も一日ご苦労様でした。」になっていたんです✨特に意識はしてなかったけど、ただ、なんとなく自然に。

でも、思い返すと、赤ちゃんは誰よりも働いてくれてるな、と感じることが。

他の赤ちゃんが泣いてると、傍まで寄っていって様子を見てくれたり、一緒になって、「助けてあげて!」って自分も泣いて教えてくれる⭐️

会社での共同保育では、母が仕事に夢中でも、「お腹すいた!」「眠い!」はズリバイで足元まで寄って来て、泣いて知らせてくれる🍼

一生懸命働いて息抜きに来てくれた社員さんには、めいいっぱいの笑顔や変顔で、元気を与えてくれる😆

外にお出かけした先でも、声をかけてくれる人に沢山の反応を返して、母と見知らぬ人とのひと時の接点を作ってくれる✨

電車やバスで近くにいる強面のおじさんにだって、興奮気味にアクション起こして、まさかの笑顔を引き出してくれる😲

そして、最後には必ずみんなから、「笑ってくれるの。ありがとう。元気もらったわ⭐️」と、しっかり感謝の言葉をもらってる✨


自己満足や自分よがりで終わってる私ら大人の仕事ぶりよりも、よっぽどいい仕事してくれてる👍🏻

赤ちゃんは、自分ではなにもできないと思いがちだから、まずは周りのみんなに充足をもらうことによって、豊かな心を育んでいくのだと思っていたけど(それも間違いではないけど)、実は相手の潜在的な期待をちゃんと掴んでいて、それに応えて相手が喜んでくれるのを見て、自らの充足に変えていってるのかも。大人達よりもずっと、相手の潜在思念を深く捉える力があるのかもしれません。

そう思うと、密室家庭の弊害は、充足をもらう対象が母親だけになることだけじゃなく、充足を与える=応える対象が母親だけになることの方が怖い事なのかも。

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実現論前史より

>そこでは、相手の期待に応えることが、自己の期待を充足してもらうことと重ね合わされ同一視されている。つまり、相手の期待に応え充足を与えることは相手に期待し充足を得ることと表裏一体である。従って、相手の期待に応えること自体が、自己の充足となる。共感の真髄は、そこにある。共感の生命は、相手(=自分)の期待に応望することによって充足を得ることである。

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相手の期待に応えることが、私達にとって、何よりもの活力源=生きる力になる。

それは赤ちゃんも同じ。

赤ちゃんは余計な観念がない分、備わった共認回路が真っ当に働き、だからこそ、こんなにも生きるエネルギーに溢れているんですね✨✨

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