【最終回】創立期から引き継がれる志~堀場吉祥院9号館~

「自分たちの生きる場を自分たちでつくる」という志をもった6人の若者が共同体企業を創設してはや45年。その志は現在も脈々と受け継がれています。


入社して1,2年目の私たち若手にも、引き継がれている「類のDNA」なるものがあるらしいのですが、一体その真髄は何なのでしょうか?


その原点を突き止めるべく、先人たちが築いてきた社会の人々との繋がりを紐解いていきます。

そこで今回は物件エピソード最終回として、弊社とのお付き合いが最も古い堀場製作所様(以降、堀場様)とのエピソードをご紹介します。


堀場様との出会い


堀場様との最初の関わりは、弊社が創立してから4~5年のころが始まりでした。


その頃、知人の紹介で新工場を計画していた堀場様との関係が始まりました。そして弊社に発注するかどうかの判断のため、当時の堀場製作所の副社長と総務部長のお二人が事務所に視察に来られ、その数日後、設計の依頼を受けました。


しかし、当時は設立して間もない時期で、小さな仕事を受注するのがやっとでした。そのため大きな物件の実績もほとんど無く、事務所もおんぼろビルでしかなかった弊社でしたが、設計業務を発注して頂けることになりました。


立ち上げ期の姿が重なり、設計受注へ


そのとき、受注したのは、堀場吉祥院9号館(一枚目の写真の建物)で、堀場製作所の施設の中でもこの吉祥院工場は重要な開発・生産拠点でした。

そんな重要な工場の設計を、どうして実績の少なかった弊社に依頼して頂けたのでしょうか。


現在、堀場製作所の物件を統括している本田ディレクターに聞いたところ、次のように話してくれました。


「それは堀場製作所という会社がもともと学生ベンチャーの草分けからここまで発展してきた会社だったという背景に関係していると思います。堀場様は、弊社にとっては20年以上の先輩企業にあたりますが、最初は堀場雅夫氏の興した学生ベンチャー企業から始まりました。その時期は、少人数で会社を立ち上げ、お金を工面するのに苦労しながら木造住宅の中で精力的に研究開発をされていました。その時の精神風土がそのまま、世界的企業になった堀場様にも引き継がれています。


この背景から、若くて活力ある弊社の雰囲気を見て、そこに堀場製作所立ち上げ時期の姿が重なり、期待してみようとなったのではないでしょうか。


また、堀場雅夫氏の人生観でもある、人生の大半を占める毎日の仕事をエキサイティングにしようという「おもしろおかしく」という社是と、弊社の「自分たちの生きる場を自分たちでつくる」という志のもと、活力もって働くという精神性が共鳴し合ったことも大きかったのだと思います。」


今でも続く関係の背景には「相手の期待に応えるための追求」がある


期待して受注して頂いた9号館Ⅰ期の設計でしたが、堀場様の期待に応えるために、最小限のコストに抑えるという課題に取り組む中で、知識・技術の未熟さゆえに失敗も起こしました。そんな局面でも、弊社の先人たちは出来ていないという事実を真摯に直視し、全勢力をあげて徹底的に原因を分析し追求し続けることで問題を解決していきました。その徹底した事実を追求する姿勢でお客様の期待に応えるというスタンスは、堀場様にも認められ、トラブルがあったにもかかわらず、その後も、継続して設計を依頼して頂くことになりました。


堀場製作所も挑戦⇒失敗⇒追求⇒突破の過程を踏んで成長してきたという歴史があり、困難なことが起きたときこそ追求して突破することが重要であるという考えを持っていました。それと、前述の弊社の仕事への取り組み姿勢を評価していただき、吉祥院9号館の設計に関わってから40年近くの年月が経った今も変わらず堀場様と弊社の関係は続いています。


45周年記念誌にも掲載されている「HORIBA E-HARBOR」は、弊社の設計チームと堀場製作所様の技術チームが一体となって、これまで培ってきた「技術の遷宮」とともに未来の生産施設について追求を重ね、実現したものです。

人生の大半を占める「仕事」、「働く」ことに対する価値観の共感がきっかけとなり両者の関係は始まりました。そして、堀場様の期待に深く同化し、それに応えるべく事実を追求し続けたからこそ、関係を脈々と繋ぎ今に至っているのではないかと思います。


堀場様との関係の歴史を通じ、「自分たちの生きる場である働く場を自分たちで活力ある場にしてゆく」という精神性と、相手の期待に応えようと事実を追求し続ける姿勢こそが類のDNAであり、これから私達若手もこのDNAを引き継いでいくべきものであると、日々働く中で実感しています。

(大阪設計室 構造房 豊島 麻由佳)



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